元NHKの放送局長・理事であり、現在はジャニーズの顧問・KADOKAWAの執行役員と華々しい経歴をお持ちの若泉久朗(わかいずみ ひさあき)さん。
そんな若泉久朗さんとはどのような経歴をお持ちの方なのか気になります。
そこで今回は『若泉久朗wiki経歴!ジャニーズ顧問・KADOKAWA・学歴も!』ということで徹底的に調査しましたので最後までご覧ください。
目次
若泉久朗wiki経歴!ジャニーズ顧問・KADOKAWA・学歴も!
若泉久朗さんは幼少期から映画に興味を持ち学生時代は様々な映画に触れてお過ごしになられました。
そんな若泉さんの経歴から見ていきましょう。
若泉久朗のwiki風経歴・学歴・プロフィール
まずは、若泉久朗さんのプロフィールはこちらです。
- 名前:若泉 久朗 (わかいずみ ひさあき)
- 生年月日:1961年2月18日
- 年齢:62歳(2023年9月現在)
- 出身地:東京都新宿区
- 学歴:都立青山高校・東京大学法学部
- 職業:KADOKAWAの執行役員、文芸・映像事業局、映像企画制作担当兼映像企画制作部長・ジャニーズ事務所の顧問
- 職歴:NHK(日本放送協会)ドラマ・プロデューサー、札幌放送局長、理事
次いで、若泉久朗さんのこれまでの経歴一覧です。
- 1961年2月18日生まれ・東京都新宿区出身
- 1984年:東京大学法学部卒業・同年に日本放送協会入局
- 1988年:番組制作局芸能番組センター(日本放送協会)
- 2000年:大阪放送局放送センター(芸能)チーフ・プロデューサー(日本放送協会)
- 2004年:番組制作局芸能番組センター(ドラマ番組)チーフ・プロデューサー(日本放送協会)
- 2011年:制作局第2制作センタードラマ番組部長(日本放送協会)
- 2014年:制作局制作主幹(日本放送協会)
- 2015年:制作局長(日本放送協会)
- 2017年:札幌放送局長(日本放送協会)
- 2020年:理事(日本放送協会)
- 2022年:退職(日本放送協会)同年、株式会社KADOKAWAの執行役員、ジャニーズ事務所の顧問に就任
PRTIMESより
往年はNHKで大活躍されていた若泉さんでしたが、現在でも日本有数の大手エンターテインメント企業『KADOKAWA』の執行役員、文芸・映像事業局、映像企画制作担当兼映像企画制作部長。
さらにジャニーズ事務所の顧問ということで現在でも素晴らしい役職に就かれています。
そんな若泉さんの経歴を幼少期から1つづつ見ていきましょう!
【生い立ち】父の影響で映画に興味を持つ幼少期
1961年2月18日、東京都新宿区で生まれた若泉久朗さん。
映画好きの父親の影響で幼い頃から黒澤明監督やジョン・フォード(アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、俳優)、小津安二郎監督の作品に親しんで育ちました。
そんな若泉少年は中学校に入っても映画熱は冷めやらず、その当時について『日本映画はダメだった』と言い『燃えよドラゴン』『エクソシスト』などを見られていました。
【偏差値71】都立青山高校に進学するも映画に夢中な青春時代
若泉さんは学歴も素晴らしく、1976年4月、都立高校の中でもトップレベル(偏差値71)という都立青山高校に進学されました。
この当時にも映画への情熱は全く衰えることはなく、当時を振り返り以下のように語ります。
「高校に入ると角川の『犬神家の一族』が発表され、ある意味の革新が起きました」
朝日新聞DIGITALより
映画への情熱とさらに学業もしっかりと取り組まれていたというから凄すぎますね・・・!
そんな若泉さんは高校卒業後、東大法学部に入学するも映画熱は冷めず映画研究会に所属されます。
【大学進学】東大法学部進学後、映画研究会に所属
若泉さんは高学歴の都立青山高校を卒業後はなんと、東大法学部に入学されています。
東京大学法学部というと偏差値70以上であり日本で一番トップの大学です。
そんな大変優秀な大学に進学された若泉さんでしたが、『六法全書よりも三脚を持つ』と映画への情熱はさらに上がっていました。
そして映画研究会に所属した若泉さんは、著名な監督((京大の)大島監督、(東大の)山田洋次監督など)も法学部出身が多いという事も相まって映画監督への夢が膨らみます。
そんな夢を膨らませていた大学時代も終えた若泉さんは就職に関して大きな壁に当たります。
【大学卒業後①】最初の就職先は『東映』?!難航した映画監督への道
1984年、東京大学法学部を卒業された若泉さんは演出家になるべく当時唯一の映画会社であった『東映』を就職先に考えられました。
しかし、当時の東映での仕事内容は希望していた演出家ではなくプロデューサー業。
さらに、最初の2、3年は全国の百貨店に行って怪獣のおもちゃを売る仕事から始めなきゃいけないという事もあり、断念されます。
次に若泉さんが選んだのはなんとピンク映画でした・・・!
【大学卒業後②】ピンク映画業界に進出!
東映を断念された若泉さんはなんと、ピンク映画に目を付けられました。
理由としては黒沢清さんや周防正行さん、滝田洋二郎さんなど、偉大な監督たちが出身という事、さらに助監督を募集していた事でした。
しかし、これも父親の大反対を受け、そちらも断念してしまいます。
そのような紆余曲折を経て、若泉さんは1984年にNHKへの入局を決められます。
【NHK入局】ドラマ、大河ドラマ、朝ドラなどを手掛ける
そして、ついにNHKへの入局を決められました。
理由としては「CMがなくて、つまり映画に一番近いから」という事で、当時は映画監督からテレビでのドラマ制作志望に軌道修正されていたことも理由の1つでした。
最初の4年間は沖縄に配属され、ドラマ、大河ドラマ、朝ドラなどを手掛けられました。
その中でも大河ドラマと朝ドラ(紅白歌合戦も然り)に関しては視聴者を楽しませる為という、NHKにしては異例の視聴率を考えた番組構成が求められるのだそう。
その後は、
- 1988年:番組制作局芸能番組センター(日本放送協会)
- 2000年:大阪放送局放送センター(芸能)チーフ・プロデューサー(日本放送協会)
- 2004年:番組制作局芸能番組センター(ドラマ番組)チーフ・プロデューサー(日本放送協会)
- 2011年:制作局第2制作センタードラマ番組部長(日本放送協会)
- 2014年:制作局制作主幹(日本放送協会)
- 2015年:制作局長(日本放送協会)
- 2017年:札幌放送局長(日本放送協会)
とNHK局内で多くの実績や役職を経験されたのち、2020年に理事に就任。
そちらもその後の人事改革によって2022年春、若泉さんは理事の退任を命じられました。
【その後】NHKの理事退任~KADOKAWAの執行役員、ジャニーズ事務所の顧問へ~
NHK理事からKADOKAWA・ジャニーズへ 異例の移籍なぜ https://t.co/oDz2TqttXC
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) October 28, 2022
大河「風林火山」や連続テレビ小説「ほんまもん」など、NHKで数々のドラマを手がけ理事も務めた若泉久朗さんが、KADOKAWAとジャニーズ事務所に仕事場を移しました。異例の移籍の理由を聞きました。 #ジャニーズ pic.twitter.com/uvhf76BWoU
そんなNHKの退任後、若泉さんは今後の活動について悩まれていました。
そんな矢先、株式会社KADOKAWAとジャニーズ事務所から声がかかりました。
KADOKAWAはさんに対し、
若泉氏は、テレビドラマをはじめとする番組制作に長く携わってきました。
引用:株式会社KADOKAWAより
若泉氏の就任により、当社の実写映像企画制作体制をより一層強化し、
IP創出力向上に努めてまいります。
と、若泉さんのこれまでの映像に関する大いなる実績を役に立ててほしいという想いからの抜擢でした。
若泉さんもこれに対し
「一番面白いのは配信ドラマ。ネットフリックスやアマゾンなど大手配信サービス会社と絡み、世界市場で通用する作品を生み出したい。放送法で縛られたNHKでは出来なかったことです」
朝日新聞DIGITALより
株式会社KADOKAWAにて若泉さんは執行役員、文芸・映像事業局、映像企画制作担当兼映像企画制作部長を兼任されています。
ジャニーズ事務所の顧問への抜擢に関しても、これまでの経験を活かしてタレントたちのドラマ・映画出演に関しての相談などを受けておられます。
まとめ若泉久朗wiki経歴!ジャニーズ顧問・KADOKAWA・学歴も!
若泉久朗さんは素晴らしい経歴をお持ちでしたね!
- 幼少期より父の影響で映画に興味を持つ
- 学歴は偏差値71の都立青山高校に進学
- 大学も日本トップの東大法学部進学
- 学業と並行して映画への興味も深まる
- 大学卒業後は『東映』『ピンク映画』を断念しNHK入局
- NHK入局後はドラマ、大河ドラマ、朝ドラなどを手掛ける
- NHKの理事退任~KADOKAWAの執行役員、ジャニーズ事務所の顧問へ~
若泉さんは62歳という年齢ですが、自身が還暦になられた際に以下のように語られています。
NHKの大演出家の岡崎栄さんとジャン=リュック・ゴダールとクリント・イーストウッドは昭和5年生まれで90歳の現役です。目標となる巨匠たちが活躍している何たる至福!まだまだ小僧であることを自覚して頑張らねばなりません。
日本映画テレビプロデューサー協会会報より
まだまだ現役として活躍されるとのことで素晴らしいですね!
若泉久朗さんの今後の活動にも注目していきたいです!